魂蝕

 定刻が過ぎ、回廊を行く人の流れが増えてゆく。
 雑談に興じる声が流れ込んでくる部屋で、趙雲は卓前に座して組み合わせた指を見詰めていた。
 仕事を終えた者から三々五々帰宅の途につく中、たった一人取り残されたようだと思う。
 粗方が下城し、周囲が静けさを取り戻すのを待っていたかのようにその気配は近付いてきた。
「我慢してたか?」
 五虎将として肩を並べている時とはまるで別人の低い声が、耳元で囁く。
 かさついた指先で耳殻を優しくなぞられ、趙雲の背を明らかな快楽が這い上がった。
「……孟起…っ」
 水気を帯びたせいでものの輪郭も曖昧な瞳を上げ、目の前の腰に縋り付く。
 待ち遠しくて仕方がなかった彼の匂いと感触に、趙雲は理性の糸が千切れるのを自覚した。
「は、早く取って……っ、も、やだ……」
 長時間、後膣を嬲るような愉悦を与えられながら前を縛められ続け、幾度正気を手放しそうになったかわからない。早く解放されて、いっそ、もっと激しい愛撫で滅茶苦茶に揺さぶり立てられたい、とまで思った。涙が零れるような快感が欲しい。
「まぁ、待て」
 外聞もなく強請る趙雲の頭を宥めるように撫でると、傍を離れた馬超が窓と扉を閉め閂をかける。
 たったそれだけの事で室は世界から隔絶され、雑踏も、木々の葉擦れや鳥の囀りも届かなくなった。その代わり、自分の乱れた呼吸で空間が満たされているのではないかと錯覚するくらい、はっきりと聞こえる。
 一層、体温が上がるのが感じられた。
 恥ずかしさで消え入ってしまえたら、どれだけ楽になれるだろう。
 いっそ、大声を上げて泣き喚いてしまいたくなる衝動を堪えながら、近付いてくる馬超をぼんやりと潤んだ目で眺めた。
 ふと頭上に影が射し、膝に力なく放り出していた腕が取られる。もう歩くのも危うい事すら知っているだろうに引き立てられ、執務室の奥に連れ込まれた。衝立で仕切られた薄暗がりにある牀台に馬超は座り、見せ付けるような仕草で袍の前を寛げる。
「舐めろ」
 命じられて彼の前に膝を突き、躊躇いもなく口を開いた。未だ力ない陰茎を先端から含んで、教えられた通りに唾液を絡めるようにして舌を走らせると、水気の多い卑猥な音が立つ。
「ん、っう……ぁん」
「趙将軍がこんなものを挿れてたなんて、他の連中が知ったらどう思うだろうな」
「んん……っ」
 誰のせいだと思っているのです。そもそも『こんなもの』を挿れたのは孟起ではないか。
 纏まらない頭の片隅で反論する。
 やはり昼の時点で、殴り倒してでも抵抗しておけば良かったのだ。そうすれば半日も緩慢に与えられる快感に甘んじる事も、宮城に与えられた一室で馬超の性器を咥えさせられる事もなかったのに。
 何をしているのだろう、私は。
 呆れ半ばに己に問いながら馬超を口に迎え入れる度、意識が行為に沈んでゆく。だから気付けなかったのだ。
「……あ……!」
 馬超の爪先が肉のあわいに潜り込んでいた事に。
 服の上から張形を押し込まれて肩が揺れ、吐息に混ざる喘ぎが僅かに大きくなる。
「あ、ちょ、やめ……っ!」
 膝を崩したみたいな姿勢で床に座り込んでいた趙雲が、馬超の脚の間で前のめりに倒れた。屈み込んだ身体が戦慄くのを止められない。
「も、う……っ! あ、あ」
 埋め込まれた淫具が奥を抉り、咎めるように呼ぼうとした名は嬌声に掻き消された。
 無意識に収縮を繰り返す粘膜が張形のおうとつを直接的に拾い上げる。動きも温度もないただの物体でしかないのに、どうにもならないほどの快楽が腰から這い上がってきた。
「口が留守になってるぞ」
「や……も、むり……っ」
 何時間もかけて緩く与えられ続けていた快感に加え、馬超の姿を目にしてからの期待が下腹部に集約されてゆく。
 熱い。血が沸騰するようだ。
 ざ、と音を立て急激に張り詰めてゆく予感に慌て、下衣を寛げようとする。
 だが、どういう訳か、その手は空中で捕らえられてしまった。
「……っん、や……」
「駄目だ」
「……え」
 もう極めてしまうのも時間の問題だというのに。
 真意を質そうと涙目で見上げれば、馬超は口角を上げ、獰猛な微笑みを湛えている。
 彼の意図にようやく気付いて目を瞠り、趙雲は間を置かずに自由を取り戻そうと必死の思いで暴れた。
「いや、……っだ……あ……!」
「構わないだろう」
「だめ……あ、あ、あ」
 言葉の合間に張形が、また強く押し込まれる。
 襞がうねる度、歓処を掠めるのに抵抗は次第に弱くなり、終いには首を振って逃れようとするだけになった。
「孟起っ、ふざけるのも、たいがいにっ」
 哀願する声が涙混じりになる。もう、両手を枷する馬超の手を振り払う力もない。
「ひ……っ、う、ぅん……!」
 引き攣った呻きを上げながら、果たして精を放つことなく趙雲は達した。
「あ……ぁ……」
 拘束されていた手首は解放され、弛緩した身体が自立すらままならずに床に頽れる。そうしてようやく、後孔にかけられていた力が失せた。
 長く引き摺る余韻に呼吸が整わず肩で荒く息を継いでいる趙雲の前髪を、長い指が握り込むように撫でてゆく。
 うっすらと目を開けた趙雲は、馬超の形の良い唇が鼻先に触れて離れてゆくのを、焦点の合わない視界でぼんやりと見送った。
「脱いだらどうだ」
「……ぅ」
 力の入らない手でもたもたと、腰の紐をほどき下衣を引き下ろす。
 夕闇が迫りながら未だ明るい陽の射す部屋で、自分がどんな格好を晒しているかを想像すると、いっそのこと死んでしまいたくなるほど恥ずかしい。けれど、着衣のままでは拘束された性器も身の内に蟠ったままの欲も解放される事はないのだ。見られている羞恥を拭い切れはしなかったが、どうにか片方ずつ抜いて床に放る。後膣が飲み込んだ張形にはどうしても触れず、張り詰めた下半身もそのままに馬超を見上げた。
「孟起、も……とって」
 外気に触れた先端から零れた雫が、パタリと音を立てて床に落ちる。
「取って、下さい」
「自分で取れないのか?」
「……できません」
 ふるり、と一度首を横に振れば、天井を仰いだ馬超が何事かを口の中で呟いた。
「しょうがないな、おいで」
 差し伸べられた手を取るなり容赦のない力に引き寄せられ、馬超の膝の上に乗り上げる。
 選りに選って、仕掛けた貴方がしょうがないとは何事ですか。
 口にしたら最後、ならばと放り出されるのが目に見えている台詞を喉の奥に呑み込み、厚みのある肩に腕を回して抱き付いた。
 硬い掌が、脊椎を辿るように背中を滑り落ちてゆく。
「卵みたいだな」
「あ……っ」
 閉じきらない孔の入り口から忍び込んだ指に引っ張られて張形の位置が変わり、新たに生まれた刺激に腰が跳ねた。
「早く、と、って……」
 肩に爪を立て、耳元で詰っても、馬超は声を殺して笑うばかりで一向に取り合おうとしない。
 まだ放置するつもりかと失望を諦めで押し潰していると、体内を異物が移動する感覚がある。前触れのない事に断続的に小さく声を漏らしながらも、趙雲は安楽を求めてゆるゆると息を吐き出した。
「っ、あ……あ……」
 握り込めば掌に隠れてしまうほどの男根が転がり落ちるとともに、足元から侵蝕するような弱い快楽から解放される。
 倒錯的な攻めから漸く赦された趙雲は深く息を吐き、広い肩に頭を凭せ掛けて脱力した身を馬超に預けた。
「し、信じられない」
「何がだ」
 嘆息と共に投げ付けられた言葉に、馬超が眉を顰める。
「こんなもの、何処で、どんな顔をして買ってくるのか……」
「興味があるなら連れて行ってやっても構わんぞ。自分で選ぶか?」
「遠慮します! い……いかがわしい」
「そのいかがわしい事をされるのが好きだろう? お前は」
 確信を持った唇が、耳殻に触れそうな距離で囁いた。
 いわゆる性感帯を弄ぶ優しい声色に総毛立たせながら、趙雲は唇を強く噛み締める。
 幾度か身体を重ねている内に、自分の身体が性的な快感に弱いのも、手酷く扱われる事で快楽が増幅する質であることも思い知らされていた。
 尤も、馬超でなければ、相手が誰だろうと素肌に指一本触れさせはしないのだが。
 その事を、果たして理解しているのかどうか。
 勇猛でありながら、その実、敏い彼が気付いていないとは、趙雲にはとても思えない。それでも今日の昼のように、時々不安が込み上げてくるのも疑いようのない事実だった。
「子龍」
 趙雲の字を呼んだ声色が、急速に艶を帯びて聞こえる。
 何事かと問うように顔を上げれば、思い返すまでもなく、馬超が一度も達していない事に考え至った。
 後膣には未だ異物感があり、長時間に渡って拓かれていたせいか、全体が痺れて鈍い熱を孕んでいる。
 敏感になっている粘膜をやにわに意図を持った指で探られて、思い掛けない事に身を竦ませた。
「もう、き……っ」
「心配するな」
「って、なにが、っ……ぁ、あ」
 引き抜かれた指の代わりに性器の先端を宛がわれ、濡れた音を立てる。
 その音に一度肩を震わせたのを最後に、肉体は抵抗するのを忘れてしまった。
「孟起……」
 字を呼ぶ声ですら、挿入を強請っているようにしか聞こえない。
 過ぎるほどに慣らされ続けていたせいで緩んだ後膣が、殊更ゆっくりと性器で埋められてゆく。意識をどこか遠くへ連れ去ろうとする快楽を払うように頭を振り、それでも堪えきれなかった細い悲鳴を趙雲は上げた。
「あ、つ……」
 半ば強引に落とされた腰の奥で、自分のものではない体温が熱く脈打っている。
 縋るように馬超の首に腕を回し、荒く息を継いでいると、縛められたままだった趙雲の淫芯に手が触れてきた。どう結んであったのか、水気を吸って固くなっていたはずの結び目が紐の一端を引かれただけで簡単にほどけてゆく。
 拘束のなくなった事に安堵したのも束の間、指で作った小さな輪が根元に嵌められてしまった。
 器用に動く指先と爪で、先端の浅い割れ目をくじられる。
 それは、手荒い愛撫に弱い趙雲が焦れて泣き声を上げるまで繰り返された。
 片足を上げるようにして腰が引き付けられ、結合が一層深くなる。
「……ぁあ……っ」
 間を置かず続けざまに揺さぶられ、呼吸が乱れた。
 慣らされた奏功か、動かされても大した負担は感じない。だが、先走りを浮かべた先端と固く芯を持った乳嘴を爪で嬲られる度、後膣が連動して収縮し、中で馬超のものが大きく育ってゆく。
「ぁ、や……い、痛っ」
「空言を言うな」
「そ、ん……なっ」
 限界まで広げられた後孔はじくじくとした痛みを訴え、削げた下腹は張り詰めて苦しい。それでも、止めて欲しいとは言えなかった。
 冷静な口調の中に混ざる浅い呼吸と、時折呻く声で馬超が感じているのがわかっていたし、何より趙雲自身がもう後戻りできないほどに昂ぶっている。
「やぁっ、あ……!」
「……っ、ち」
 喘ぎながら、眉を寄せている馬超の顎に唇を寄せた。
 身体の奥を突き上げ、抜け出し、掻き回す、傍若無人な熱が酷く慕わしい。
 だが、上手い言葉を持ち得ない趙雲は、だから急く息で、泣いて叫んで肩に爪を立てて答える。
「孟起……もぅ、き……」
 他に何をどうしたらよいのかも思い付かず、あとはただ繰り返し字を呼んで愛しい男に縋り付いた。