ちまちょう!

 その日は、どういう風の吹き回しだったのか。
 趙雲を伴って帰邸すると、馬岱が山のように──それは喩えなどではなく、本当に普段使用している食卓に乗りきらないほどの料理を作って待っていた。小さな身体が丸ごと胃袋のような趙雲は案の定、小卓まで出して並べた数多の皿を前に目を輝かせている。
「これ、たべていいの?」
「岱に聞いてみろ」
 今にも食い付きそうな面持ちに敢えてそう返したのは、自分では作るように指示した覚えがないからだ。
 馬超の言うがままに趙雲が、その大きな瞳を岱に向ける。
「たべていい?」
 同じ問いの中に混ざる僅かな遠慮を感じ取ったのだろう、宥めるように馬岱は柔らかく笑った。
「もちろんです。趙雲殿のために腕を振るったのですから、存分にお召し上がりください」
 まるで目上の人間を相手にしたような言い回しは、五つにもならない子供には少し難しかったかもしれない。けれど趙雲のためにと言った優しい声と笑みは、十二分の理解を彼に与えたのだろう。
確かめる眼差しでもう一度振り仰いだ趙雲に小さく頷いてやると、表情が春の陽だまりみたいに綻んだ。
「うん!」
 首がもげそうなほどに勢い良く首を縦に振った趙雲が、食卓に駆け寄り椅子によじ登る。
「いただきまぁす!」
 元気な声が聞こえたのと、席に座るなり手に取った箸を料理につけたのではどちらが早かったのか。
 蒸し肉やら魚の煮込み、炙った猪肉に羹から果ては点心まで、目についたものから箸で摘まんでは口に運んでゆく。
 一心不乱なその様子を馬超が可愛らしく思わないはずがない。旺盛な食欲に些か圧倒されながらも無邪気な様が良く見えるようにと、趙雲の正面に腰を下ろした。卓の端に頬杖を突き、幼い彼の仕草を肴に途中で馬岱が供してくれた酒を舐める。
 そうして半刻ほども経ったろうか、馬超は趙雲の様子がおかしいことに気が付いた。
 頭の上に生えた一対の猫の耳が、髪に埋もれるほどに伏せられている。機嫌が良いときには肩の辺りで揺れている尾も、今は隠れて見えない。
「どうした?」
 問えば、俯き気味の顔をはっと上げ、なんでもないと首を振ってみせる。
 だが黒髪との対比が美しい白皙は、今は白いというより青褪めて平素のそれでないことは火を見るよりも明らかだ。
「腹でも痛いのか?」
 重ねて問うのに、きゅ、と唇を噛む。
「叱らないから言ってみろ」
「……、たぃ……」
 促してようやく小さな声が聞こえた。
「うん?」
「おなか、ぃたい……の」
 喜びが突っ走って食べ過ぎでもしたのだろう。感情の抑えが効かない子供にはままある事だ。
 仕方がない。
 約束したのだからと呆れを苦笑一つに留めた馬超は、出来うる限り優しく趙雲を呼んだ。
「子龍」
 もう腹痛を我慢する必要がなくなったと判断したからだろう、泣きそうな眦が馬超を見る。
「おいで」
 縋る目をしながらしかし、趙雲は動こうとしない。
「子龍、おいで」
 再び、今度は手招くと、彼はようやく腰を上げた。痛むらしい腹に両掌を当て、ゆっくりと近付いてくる。
 だが、決まりの悪さを表したように趙雲が歩みを止めたのはいつもよりも遠く、まるで出会ってすぐの頃を思い出させる距離が馬超は気に入らない。
「にゃ……!」
 腕を一杯に伸ばしてようやく届く所に佇む彼を、力尽くで膝に抱き上げる。
「子供が意地など張るものじゃない。痛いなら痛いと素直に言え」
「ごめん、なさい……」
「謝らなくていい」
 肩にかかる髪を梳いてやれば、手の温かさに懐いてだろうか頭を胸に寄せてきた。害なすものから守るように細い肩を腕に抱き込むと、小さな手が袍の襟元を握る。
「痛みが治まるまでこうしていてやろう」
 言えば、胸元に頭を擦り付けるように趙雲が微かに頷いた。
 庇護を与えられてようやく安堵したのか、先刻まで項垂れていた黒い尾が手首に巻き付いてくる。
 思いがけず柔らかな毛並みと控え目に甘える趙雲に、馬超は密かに笑みを零した。