口に蜜あり

「いいものが手に入ったんだ」
 褥に導くなり思い出したように言った馬超が懐から取り出したのは、小さな玻璃の器だった。瓶子のような形ではあるが、首は短いというよりむしろなく、口は胴と変わらないほどに広い。そして、瓶子にはない美しい意匠の彫り込まれた蓋が、これもまた丁寧な拵えの紐で外れてしまわないように括られていた。
 花を象って結われた紐を、馬超の指が器用に解いてゆく。
 嵌め込み式の蓋を開けた途端、甘い匂いが周囲に漂った。
「……何です?」
 趙雲が問うのには答えず、しぃ、と馬超が子どもにするように口の前で人差し指を立てる。それを器の中に差し入れ、とろみの強い蜜のような液体を指先に掬って口に含むと、唇を合わせてきた。
 歯列を割って侵入してきた舌が、自分のそれと深く絡まり合う。
 ざらついた粘膜が擦り付けられた瞬間、口腔から鼻に掛けて濃厚な金橘の香りに満たされた。
 名残を引き摺らない潔さで、唇が離れる。
「匂い、大丈夫か?」
 人よりも少しばかり鼻の利く趙雲を気遣ってだろう、馬超が訊いた。
 確かに強く匂いはするが、厭うほどではない。
 頷く代わりに趙雲は、馬超の首に腕をかけて引き寄せ、無言のまま口付けを返した。
 息を継ぎながら貪るように口付ける中で、帯の解かれる感触があり、袍の前が軽く開かれる。
 露わになった首筋から肩を辿る掌の熱に、肌が震えた。
「ぁ……」
 唇の離れた隙間から吐息に混ざって婀娜めいた声が零れる。
 物足りなさに恨みがましい目を向ければ、馬超は口角を上げて色悪がするように笑んで見せた。
 灯火を受けて鈍く光る黄金の蜜を、揃えた人差し指と中指でたっぷり掬い、口に含む。
 次第に近付いてくる端整な顔立ちに瞼を伏せると、甘ったるい香りを伴う口付けが、顎の先から首先、胸の突起へと降りていった。
 半端にはだけた長衫の下に頭を潜り込ませ、馬超が左の乳嘴をねっとりと舐める。もう片方は服地の上から軽く摘まれて、指先で擦り合わせるように刺激された。
「……んぅ、……っ、あ……あっ」
 背中を駆け上がる快楽に、声を抑える事ができない。
 脇から下腹にかけ、きつく痕を残しながら唇が降りていった。
 馬超が欲しがっている。こんな、硬いばかりで手触りが良い訳でも、面白味がある訳でもない身体を欲しがってくれているのだ。
 そう思えば、彼の前に全てを差し出してしまいたくなる。
「……も…ぅき……」
 右太腿の付け根を執拗に吸い上げている馬超の髪に、趙雲はそっと指を絡ませた。
「ね……も、ほし……っ!」
 上擦って掠れた声で浅ましく強請る。
 顔を上げ確信犯的に目を細めた馬超は趙雲の両膝を立てさせ、添えた手で左右に大きく開いた。間に身体を割り込ませて食らい付くような目を向けてから、股間に顔を埋める。
 長衫が纏わり付いているせいで、何をどうされているのか、趙雲からはっきりとは見えない。
 だが、その分、齎される熱い舌の感触の生々しさに、神経が異様なまでに昂ぶった。
 喉の奥深くまで咥えた趙雲の花茎を、馬超が舌と口腔で煽る。立ち上がったそれに軽く歯を立てられ、強弱をつけて吸われた。
 金橘の匂いが次第に濃くなってゆくのは気のせいだろうか。
 眩暈がする。
 酩酊のような非現実の中で施される口淫は、堪らなく悦かった。
「あ、や……ぁ、もう……もう、き……っ」
 股間で亜麻色の髪が揺れる度、濡れた音が室内に響く。
 耳から入り込んだ淫らな毒に、末端までをも冒されるようだった。
「ぅ……んっ……ゃ、ダメ…ぇ…」
 甘く尾を引く泣き言に気を良くしたのか、尖らせた舌が陰茎の先端に捩じ込まれる。
「ひぅ、や、ぁあ……」
 口淫の経験は、されるのはもちろん、自分からした事もあった。だが、こんなにも深い悦楽に落とされた覚えはない。
「……ぃ……っ、くぅ、あぁぁぁぁ」
 陰嚢を揉みしだかれながら吸い上げられて我慢できず、背中を強張らせた趙雲は馬超の口に精を放った。
 何度かひきつけを起こして溜め込んでいた熱を吐き出し、仰け反っていた身体がゆっくりと弛緩する。浅い息を繰り返す喉は風に似た音を立てるばかりで、まともに声も出ない。
 呆然の体で僅かに首を動かすと、顔を上げた馬超の視線とかち合った。
 にい、と情の薄そうな唇が弓の形を描く。
 その何かを企むような表情に、腰の奥がぞくりと震えた。
 たった今、達しばかりだというのに、またぞろ熱が湧き上がってくるのがわかる。その先を期待するなという方が無理だ。
 褥に四肢を投げ出したまま、縋る指を馬超に伸ばす。
 短く切り揃えた爪の先が馬超の顎に触れる寸前、静かな室内に喉の鳴る音が響いた。
 それが意味する事がわからないほど子どもではない。
 突き出した喉仏が上下するのを見て、箍が外れた。
 重しを括り付けられたように動きの鈍い両手で馬超の顔を掴んで引き寄せ、噛み付くみたいにして口付ける。どちらのものとも知れぬ唾液を啜り上げるだけで、太腿が震えるくらいに興奮した。
「ふ……ぅぁ、ん……」
 綺麗に整った歯列を舌先で辿り、上顎の裏側を舐め回す。口内のそこここに残る苦みなど、少しも気にならない。むしろ、媚薬を嗅がされたように身体の奥に熱が凝ってゆく。今日は未だ一度も触れられていない後膣が酷く疼いた。
 どうしたらこの、ひたすら彼に向かって傾いてゆく即物的な情動を伝える事ができるのだろう。
「……もうき……もうき……」
 切なさを募らせて趙雲は舌足らずに幾度となく字を呼び、馬超の下唇を自分のそれで食んだ。
 その拙い要求を汲み取ってくれたのか、熱い粘膜が頬の裏側から歯列を辿り、震える舌を絡め捕っては擦り合わされる。時折、硬い歯に甘噛されて、喉奥から悲鳴が漏れた。馬超から与えられる被虐的な悦楽に欲が逸り、自然、背筋が伸びて腰が揺らめく。
「今日は、随分積極的なんだな」
 ふと思い付いたように趙雲の口唇を啄みながら、馬超は訊いた。
 どこか笑み含んだように聞こえる声に正気付き己の様を省みてみれば、いつの間にか上下が入れ替わっている。結っていた髪はほどけ、脱げかけた長衫からは肩先も脚も露わなしどけない姿で、彼の上に乗り上げていた。
 無理もない。それなりに深い付き合いの中で、趙雲から行為を誘うような真似は、滅多にした事がなかった。だからといって今更、含羞んでなかった事にしてしまえるほど冷静でもいられない。
「積極的な私はお気に召しませんか?」
 馬超の脇に腕を突いて身体を起こし、小首を傾げて逆に問う。追い打ちを掛けるよう跨いだ脚を長衫越しに素足で擦り上げると、馬超は相好を崩した。
「どんなに淫らでも、気に入らない子龍など一つもない」
 趙雲の絹糸のような黒髪や首筋を撫でながら、彼が言う。それから「だが」と継いで、獰猛な雄の目を見せて笑った。
「そろそろ俺の好きにさせてくれてもいいだろう?」
 囁きは抗いがたい甘さをして、趙雲に従順を強いてくる。
 無論、馬超によって拓かれ、淫欲に慣らされた身体が否を唱える道理はない。
 返す言葉もなく、ただ頷くと、背中を抱いていた右腕が離れた。
 不意に濃厚な金橘の匂いが漂う。
 何かと思う間もなく左の太腿の辺りから、馬超の手が長衫の下に潜り込んできた。硬い掌で腰にかけてゆっくりと撫で上げられただけで肌が粟立つ。
 この後は間を置かず、彼の節高な指が後膣に突き入れられ、内襞が蕩けるまで乱してくれるはずだ。
 過去の手順を思い返す端から腰の芯に埋けた火が炎を噴き上げるようだった。
「……っ、ふ」
 会陰を滑る指先に詰め切れなかった息が漏れる。
 それを待っていたかのように侵入を果たした指に、趙雲は目を瞠った。
「や……、なに……っ」
 未知の感覚に怯えた声を上げると、馬超が薄く笑う。
「真珠を連ねただけの指輪だ。心配しなくても子龍に傷など付けるものか」
 まるで調練の相談をする口振りで、彼はそんな事を言った。
「……んぅ……そ、な……や、あぁっ……」
 内側を侵す違和感に抗議は消え、趙雲の口からは嬌声が零れるばかりだ。
 蜜を指にも指輪にも絡めているのだろう、ぬめりを纏った指が行きつ戻りつしながら、もどかしいほどゆっくりと奥に潜り込んでゆく。真珠の玉が内襞を擦る度、引き攣れたように身体が震えた。
「力を抜け、子龍。このままでは先に進めない」
「だ、って……ぇ……」
 これ以上は耐えられないと眉を寄せて首を横に振れば、宥める口付けが額に与えられる。
「大丈夫だ」
 声はどこまでも柔らかに優しく、けれどその一方で二本目の指が押し込まれた。
「あ……あ、ぁ……」
 一体、いくつの指輪を嵌めているのか、真珠同士がぶつかり合って体内で軋んでいる。
 馬超の指の動きは止まる事がなく、趙雲の感じる場所を的確に捉えて責め立てた。
「……っ……や」
 込み上げる射精感とは違う官能の波に降参の声を上げる。
 背骨から四肢まで性急に痺れてゆくような快感は壮絶で、対峙する敵陣に斬り込んでゆくよりも恐ろしいほどだ。自分が自分でなくなってしまうような、まるで神経を剥き出しにして放り出されるような覚束なささえある。馬超が受け止めてくれるとわかっていなければ媾合いなどしない。
「あっ……っ…あ、あ…」
 高処へと追い立てるように身体の奥を苛んでいる指の動きが早まり、蕩け乱される。
 逃げ道も塞がれ、身も世もないと頭を打ち振って、趙雲は縋り付いた。
「……ゃ、……も……」
 これ以上、我慢したくない。
 背を捩らせながらも触れた唇で耳殻を辿りつつ訴えると、馬超はひっそりと笑った。
「俺も早く繋がりたいよ」
「んぁ…ああ……」
 隘路を広げる二本の指が抜けてゆくのに身体が戦慄く。
 腰を支えられ、ひたりと後孔に宛がわれた馬超の熱は、だがすぐに這入ってくる様子はない。明らかな意図を持って、張り詰めた陰茎の先で入り口を弄んでいる。
 焦らしているのだ。そうして、理性も何もかもをかなぐり捨て、彼の前に身の内までも曝け出すのを待っている。
 馬超の目論見には気付いていたが、だからといって共に愉しむ事はおろか、抗う余力すら既に残されてはいない。
 せがむ言葉もなく、泣きそうに眦を歪めて馬超の二の腕を握り締める。
「俺のが欲しいのか?」
 意地悪く問いを重ねるのに何度も頷いてみせれば、彼は嬉しげに目を細め、今度はあまり焦らさずに身体を進めてくれた。
「……ぁ、ぁあ……」
 指とは比べものにならない圧迫感に、意思のないまま喉から声が零れ出てゆく。
 じりじりと内壁を押し上げられて、趙雲は天を仰いで目を瞑った。
「あぁ。熱いな、お前の中は」
 絡み付いてくる、と熱に浮かされたような感嘆の声が遠くに聞こえる。
 二、三度ゆっくりと揺さぶり容易く趙雲の悦い処を見付けると、そこを丁寧に擦り上げてきた。
 鋭くも緩慢な愉悦が身体の隅々にまで充ち満ちて、意識が霞がかってゆく。
「子龍……」
 肩で息を吐きながら彼が呼ぶのに応えて焦点の鈍い目を向けた。
 見上げてくる黄金色の眼差しが、情慾に潤んでいやらしい。
 自分の身体に感じてくれているのだと、実感できるのがこそばゆくも嬉しかった。
「動けるか?」
 問い掛けに小さく頷き、馬超の胸板に両手を置く。上半身を斜めに傾かせ、あまり上手く動きそうにない脚に力を込めた。
 僅かに、それでも懸命に腰を上下させる度、甘い匂いと卑猥な水音が立ち上る。
 馬超の空いた手が胸を押し撫で、つんと芯を持った乳首を摘み上げた。
「………っ」
 捏ねるような動きにあられもない悲鳴が口を衝いて出そうになって、慌てて声を噛む。
 後膣と同時に胸に刺激を与えられると、快感が増幅して精神と肉体が乖離してしまうのではないかと錯覚するほどに悦い。女にするようで些かの抵抗はあるものの、そんな文句を言う余裕もないほど趙雲は乱れて馬超を享受した。
 繋げた処が疼いて、熱い。
「……あっ、…あっ…」
「子龍、愛しているよ」
 何処か恍然とした低い声が耳元で響く。
 鼓膜を優しく震わされ、趙雲は肩を竦めた。
 愛しく思う気持ちなら、同じくらいに持っている。なのに彼ばかり、そんな風に何の衒いもなく言葉を重ねてくるのは狡い。
 悔しさ紛れに亜麻色の髪を掴むと、趙雲はその首元に齧り付いて肌を貪った。
 喉の薄い肉を通して、馬超が笑っているのがわかる。
 意趣返しのような行為でも彼は満足するのだろう、そうしてまた突き上げられ、一際深く繋がった。
 抽挿が激しくなる。
 身体を好きに揺さぶられるまま趙雲は、力の入らない指で馬超の腕に取り縋った。
 四肢は快楽にざわめいて震え、背骨を伝う圧倒的な愉悦が持ちうる何もかもを侵蝕してゆく。掴まれた腰から広がる熱に灼かれて、気が狂れてしまいそうだ。
「……あ───…っ」
 細長く尾を引く甘い声を上げると趙雲は、馬超の上に痙攣してしまう身体を投げ出した。
 まさに息も絶え絶えといった様で胸に俯せた背を、労るように大きな手が何度もさする。
 短く荒い息に籠もる熱を逃しながら、趙雲は僅かに首を擡げた。
「孟起」
 眠る子を起こさぬほどの声で囁くと、背中の手がぴたりと止まる。
 こちらを向いた表情が、柔らかく笑みほどけた。
「すまん、無理をさせたか?」
 顔を合わせるなり、申し訳なさを孕んだ声で問われれば、首を横に振るしかない。それに、決して無理を強いられた訳でも嫌だったのでもないのだ。ただ、いつもより過剰に乱れてしまったのが少し恥ずかしいだけで。
「それならよかった」
 汗ばんだ肌に貼り付いた黒髪を梳く手に、頬を寄せる。
 馬超の掌は乾いて温かく、触れているだけで趙雲を酷く幸せな気分にさせた。
「店の親父が言う通り確かにそれなりの代物だが、必要ないな」
 これは、と持ち上げられた右手の人差し指と中指には、真珠を連ねた指輪が二つずつ嵌められている。
 都合四つもの指輪で体内をまさぐられていたのかと思うと、憤るより先に呆れが立った。
「それに、俺はいつもの子龍の方がいい」
 剰えそんな言葉を継がれてしまったら、皮肉の行き場さえ見失ってしまう。だからといって、このままやり込められているのは負けん気の強い趙雲の癪に障った。
「全く、貴方という人は」
 彼が弟のように可愛がっている馬岱が、小言をつらつらと並べる時と同じ言葉を切り出してやる。
「な、なんだ」
 まさか不興を買うとは思ってもいなかったのか、腕に抱えた趙雲の身体は離さないまま馬超はたじろいだ。
 上目遣いに睨め付ければ、眼差しの強さの分だけ顎を引くのが面白い。
「私も、いつもの貴方の方がいい」
 告白は、さすがの彼も予期しなかったのだろう。
 呆気に取られ、薄く開いた馬超の唇に、趙雲は蜜より甘く口付けた。