雨の庭

「ぅわ……っ」
 まるで武器庫をあとにするのを待っていたかのように、雨は降り出した。しかも、降り方が尋常ではない。地も建物も、外に放り出された趙雲と馬超も、たちまち水浸しになってゆく。
 どこかで雨宿りをしようと思ったところで、調練場の近く、つまり宮城から遠くては屋根になってくれそうなものは見当たらない。隣で馬超も掌を翳して作った庇の下で目を細め、煙る景色を見遣っている。
 そうかといって極めて機能的に作られた武器庫では、立ち居一つままならない。恐らくは夕立だろうから待っていればやむとは思うのだが、それまでの身の振り方が当面の問題だった。
「おい、あそこに入るぞ」
 途方に暮れていた趙雲の腕を掴んで、足元の水溜まりを蹴散らしながら馬超が前を駆けてゆく。
 広い肩越し、仄白い水幕の向こうに、こぢんまりとした四角い影を見付けた。
 ぽつん、と建っていた孤亭は、確かに武器庫の内部よりはいくらか広い。とは言っても、宮城の庭で見かけるそれとは規模が違う。大柄な男二人が詰めるには随分と手狭に感じたが、それでも雨に打たれ続けるよりはマシだ。特に文句は思い浮かばなかった。
「寒いですね」
 その代わり、頭を過ぎった言葉を声に出してみる。
 すると、何故だか不思議そうな顔をして、馬超は趙雲の顔を見返した。
「何です」
 私が暑いとか寒いとか、そんな事を言うのが可笑しいですか?
 拗ねた感情を言外に含めて睨め付ける。
 それに気分を害した風もなく、僅か瞠っていた目を細めて馬超は言った。
「お前、寒いのか?」
「いけませんか」
 見た目、自分よりも薄着の馬超が平然としているのは、癪に障る。馬鹿にされているような気がして毒突いた口はしかし、何とも情けない事に歯の根が合わなくなりつつあった。
 暑いのはそれなりに我慢もできるが、趙雲は寒いのには本当に弱いのだ。
 雨を凌いだせいで散らされなかった呼気が靄って見えるという事は、相当気温が下がっているに違いない。
 現実を認識したら、余計に寒くなってきた。
 奪い取られてゆく体温を繋ぎ止めるように、小刻みに震える腕を掌で撫でさする。
 雨はまだ止みそうにない。うんざりだ。
 時間を潰す方法を他に知らなくて、俯き気味に目を閉じ壁に頭を預ける。二度、三度と腹に凝った鬱屈を溜息に混ぜて吐き出していると、何を思ったのか、背後から伸びてきた腕に抱き竦められた。
「なに……っ」
「風邪でも引かせて、関平やら馬岱やらに恨まれたくはないからな」
 それは馬超の偽らざる気持ちだろう。
 だが、趙雲にとっては慕ってくれる年下の彼らの事など、二の次だった。
「……引きませんよ、これぐらいでは」
「それならそれで構わない」
 貴方はどうなのです。私が体調を崩したら、少しは心配してくれますか?
 それが一番知りたいのだとは思ったが、口にする事は憚られた。
 考えすぎて惨めになるより早く、掠めた本音を誤魔化すように身動ぐ。緩められた腕の中、濡れて零れた前髪を掻き上げると、また、胸に抱き寄せられた。
 何処ぞの女にするように、優しくなどするな。
 鳩尾がちりちりと苛立っているのに、背中の温もりを振り払えない。
 言葉に傷付き、身体を傷付けられ、それでも馬超に優しくされるのが嬉しいと感じるのは、きっとずぶ濡れで寒いせいだ。
 目の奥に水の気配が込み上げるのも。
 雨の勢いは予想に反して激しさを増していた。もう盥どころではなく、溜め池をそのまま逆さまにしたと言った方がしっくりくる。扉のない出入り口の外を落ちてゆく水は山奥に見かける瀑布の様に似て、亭の外の視界はないに等しい。
 今まで思い付きもしなかった方法で、二人は外界と隔絶されていた。
「何をしているのでしょうね、私達は。こんな所で」
 突然開いた口に驚いた顔で、馬超が趙雲を見る。
 振り返るみたいにして、趙雲も馬超に目を向けた。
「行軍中でもないのに閉じ込められ、動けずにいて」
「そうだな」
「でも、この雨では誰からも見えませんね。閉じ込められても、何をしていても」
 ── 何をしていても。
 含みを持たせて首を傾げると、少し間があって口の端が上がった。


「……ぅ、あぁっ」
 重ねた身体が熱を帯びて火照る。
 耳を耳墜ごと囓られ、趙雲はくぐもった声を漏らした。反らした喉を食まれた時の痺れるような痛みに、堪えようもなく背を震わせる。
 抗いようもない。
 決して長くはない付き合いではあっても、己の身体の弱い処は全て暴かれ尽くされてしまっている。
「や、も……ぅ」
「苦しいか?」
 抱えられた脚を、さらに押し広げられた。
 深くなった繋がりに趙雲は低く呻きながら、伸ばした両腕で馬超の背に縋り付く。
 人気がないとは言え、屋外の、それも宮城の片隅にある亭で立ったまま深く穿たれていた。
 身体を腰と膝で折り畳むようにして抱えられ、背中を壁に垂れかけた不安定な体勢に息が詰まる。
「ん、や……怖、」
「大丈夫だ。怖いなら強くしがみついているといい」
 言われるまでもなく、これ以上はないというくらいに強く縋り付いていた。指先が馬超の厚い肩に食い込んでいるのがわかる。
「子龍」
 片腕を上げると馬超は、汗ばんだ頬にへばりついていた髪を指先で拭い上げてくれた。
 傍目に優しい仕草は、けれど同時に腰に回されていた腕がなくなった事を示している。支えを失った趙雲の身体は、重力に逆らうことなくずり下がった。
「……っ」
 瞬時に息を呑み、声にもならない鋭い悲鳴を上げる。
 取り乱して目の前の身体にしがみつくと、馬超は楽しげに喉を鳴らして笑った。
「もうき……っ」
「すまない」
 詫びる声には謝意の欠片もない。
 身動ぐ事もままならずに趙雲は、それでも必死に抗議の声を継いだ。
「貴方も……つらい、でしょう」
 いくら腕力に自信があるとは言え、成人男性一人を抱えて負担がないはずはない。
「こんな格好、で……っ」
 だから下ろしてくれと告げたつもりだったのだが、どうやら馬超には伝わらなかったようだ。
「ああ、確かにこの格好だと、悦い処を上手く突いてやれないな」
 動きづらいと言いながら、趙雲の身体を持ち上げ直す。
 自然、欲情した後膣を刺し貫かれ、弾みで跳ね上げてしまった己の脚に目を瞑り、瓦解しかけているなけなしの矜恃で嬌声を飲み下した。
 いつもより深く穿たれて言葉を紡ぐだけで精一杯だというのに、どうして貴方はそんな余裕の態でいられるのか。
 自分一人が追い詰められているようで、酷く理不尽に思った。
「っ、……はぁ……ああ」
 雨の音が意識の底を舐める。
 さして広くもない亭内に、婀娜めいた声が響いた。
 歌い女のように美しい訳でもなく、だがいやに媚びを孕んだ自分の声にも煽られて、堪えきれない快楽に頭を打ち振るう。
 穿たれた馬超の熱は内壁を隙間なく押し上げ、じわじわと神経を苛んでゆくようだ。
 背骨を伝う愉悦に末端が痺れ、指先から力が抜ける。
「子龍」
 余裕のなくなった趙雲を諫めるように、馬超は酷く優しい声をくれた。
「ん……」
 深く息を吐いて快楽を遣り過ごし、折り畳まれ抱え上げられた格好のまま、僅かに背を屈めて彼の首に縋り付く。
 湿り気を帯びた肌に唇を押し当て、もう無理、と先をせがんだ。
 強請られた事に満足したように、馬超が趙雲の背を撫でながら小さく頷く。
「動くぞ」
 囁きは欲に塗れていた。
 趙雲の頭を壁に置いた馬超が、掴んだ脚を強く押し広げ、覆い被さるように熱を帯びた身体を押し付けてくる。
「ひぁっ……あっ、……ぁぅ」
 張り詰めた屹立で淫核を容赦なく抉り上げられ、趙雲は甘えた声を上げた。蕩けた腰が馬超の抽挿に合わせて揺れ、卑猥な水音を立てる。
 尻肉を掴むように広げられ、繋がった箇所を硬い指先でなぞり上げられた。
 不躾な感触に身体は竦み、けれど堪らないと悦んだ後膣が飲み込んだ陰茎に絡み付く。
 激しい交歓に意識を掻き混ぜられながら、趙雲は力の抜けてしまった腕で馬超に必死に縋り付いた。もうき、と譫言のように字を紡ぐ。何もかもわからなくなってしまうような底なしの快楽の中で、それでも相手が誰であるかという事だけは忘れたくなかった。逆に、抱かれているのが馬超だとわかっていれば、この不安定な体勢でも落ち着く事ができる。毒のような愉悦に神経を蝕まれてゆく事も、嵐のような快楽の波に身を預ける事も、さして恐ろしくはないと思えた。
「子龍」
 熱に浮かされたように呼ぶ馬超は、きっと初めから何も変わっていない。衒いもなく好きだという声も、その甘やかに歪んだ口元も、それから趙雲を欲しがって強くする腕の力も、ずっと同じままだ。
 ならばこの先、変遷が訪れると誰が言えるだろう。二人の関係が終わりを迎えるその瞬間まで、彼は何も変わらずにいてくれるのではないか。
 そう思えば孤立する小さな匣の外がどうなろうと、そんなものはもうどうでも良くなってしまった。まさぐり合う互いの身体以外の全てが濃霧に飲み込まれたように、その存在意義を急速に失ってゆく。熱情に聾した耳には、荒く乱れた呼吸より他に届く音は何もなかった。
 いっそ、矩形に切り開かれた口が封印されて、このまま二人で隔離されてしまえばいい。
 安堵の笑みをこそりと漏らした趙雲は、しがみついた馬超の肩に指を立て、声を殺す事も忘れて昇り詰めた。